延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版2

お早うございます。名古屋は今朝もさわやかに晴れ渡っています。

神戸の市営住宅11階の我が家では、朝玄関のドアを開けて日の出を眺めるのが日常ですが、ここ名古屋の別荘(?)では、明るい朝日が部屋の中に差し込んできます。

今日も新しい朝を迎えました。いつものように朝食の後は、洗濯と掃除をすませて、本日はパソコンに向かって、標記の「名古屋版」の第2回をこうしてUPできることは、誠に幸せな朝です。

昨夜いろいろと試行錯誤しながら「第1回」を収めましたので、今朝は12月1日から17日まで、こうして延原先生から届けていただいている歌をUPさせていただきます。

12月1日からの鳥飼の新しい名古屋での生活のメモも添えながら進めもてみますが、このパソコンに写真が収まらないのが残念です。

 

   〇(12月1日)

          熱きもの溢るの歌七首

 一 何にせよ一王朝の存続を悲願とせるやミサイル再開
   (備考:北のミサイル再開2017年11月29日)
 二 何故に人類文明存続を悲願とせぬや哲悦の道
 三 然らばやあらしめられて思ふ道全霊込めて恵み応へむ
   (備考:これ哲悦の道:Cogito, ergo sum.の我が解なり)
 四 昨日や我が暮れサンタ応じてや「弔意に御礼」御文来りぬ
 五 此処に在り弟君の安らかに天に召されし告げ給ふ愛
   (備考:「この度はご丁重なる弔意を賜わり、厚く御礼申し上げます。(弟 中井博義)二間程闘病の末、最後はホスピスに入り、安らかに天に召されました。長く教会を離れていましたが、十数年前から再び京都賀茂教会に通っておりました。加茂伝道所を思い出していたことでしょう。右、取急ぎお礼まで。中井博雅 2017-11-28」)
 六 「召されても主に在りて不離」かく書けば心に熱きものぞ溢るや
 七 かく在りて燃ゆる心や再びや『哲学喜び』向かひてや燦
   (備考:推敲熱はいるなり)

 

   〇(12月2日)

           巻頭歌佳しの歌十首

 一 我が新著巻頭歌附し佳かりけり叙述のみにて非ずしてそも
 二 御神の御前にてこそ詠ふ歌在りてこそなれげにも我が著書
 三 それ故に『哲学喜び』げにもぞや飛翔の歓喜音立てて往く
 四 我妻や絶後笑み増す不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 五 哲学やあらしめられて思ふわざこの感激の故に我在り
 六 誠にや巻頭歌佳しげにも佳し《逆想》示すCogito, ergo sum
 七 示すとは逆想に見し恩寵を笑みて飛翔の感謝無尽も
 八 この心巻頭歌のや副題に「人類文明刷新のため」
 九 人類(ひと)文明このままならばあと百年ホーキング言ふ核で滅ぶと
 十 我が心かくて燃ゆるや赤々と哲悦のぞや光輝放ちて

 

   〇(12月3日)

           飛翔我在りの歌七首

 一 面白きものや出来たり「哲学の喜び」飾る巻頭歌げに
 二 人類(ひと)文明刷新のため核越ゆる哲悦詠ふCogito, ergo sum
 三 「ergo」がや人間思惟の因果とや誇るにあらずあらしめられて
 四 ひとえにぞあらしめられて思ふこそ《仲介あらず》「故に」発奮
   (備考:げにもぞやあらしめられて/思ふとやサルトル歌ふ哲学見事 「/」=仲介やなし)
 五 人類(ひと)文明《逆想》在りて感恩の「故こそ在りて」飛翔我在り
 六 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 七 恩師言ふ「深き低み」も「神共」や内住ありて底ぞ飛翔す
   (備考:「内住ありて底」の「底」はインマヌエルの事なり。即ち、「神共」ロゴスの我らの底なる事、同時にそのままが《天父へと飛翔我在り》なり)  

 

   〇(12月4日)

           恩寵祈るの歌十首

 一 昨日やまんじりともやせず過ごす我が友令嬢大手術名古屋呻吟
 二 我妻のために書きたる『あなたに』と『復活』平安不思議にもとぞ
   (備考:『あなたにいちばん近い御方は誰ですか 妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』(東京・日本キリスト教団出版局、2011年)と『復活の省察 妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』(新潟・考古堂、2014年)の両書抱へて我が熱誠の友愛娘のところに駆け付けぬ――不思議な平安に満たされつ、とは世にはなき述懐なり)
 三 述懐や祝されしかな危機の時御友共なり何あらむとも
 四 「飛翔なか/我在り」生死いかにもや笑みも絶えずや御友いませば
   (備考:[/]=在らしめられて思ふにや)
 五 御神の恩寵あれば生かされて御業尽くさむ御手の内なり
 六 近き神医療の業や有難きそれより近き誠恩寵
 七 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 八 昨日や先達にぞや切願す『哲学喜び』帯に一筆
 九 ともどもに一筆ずつや楽しけれ助け合ひてや御栄のため
 十 我祈る御恩寵をぞ成し給へまだ若き人請う息恵みてや

 

 〇(12月5日)

         ゆっくりゆったりの歌十首

(備考:熱誠の友鳥飼慶陽師のメール12月4日5:29PM、名古屋より:「延原先生 この度は娘のことで御加祷、ありがたく感謝申し上げます。お蔭様で命を授かり治療にあたっていただいています。まだしばらくは予断を許しませんが、本日は目を(注:次女、クモ膜下出血で緊急入院した真砂さんが)開いたりしていくらかの応答らしきものを確認することができました。
家からパソコンを持参して見ましたが、ネットはつながらず、メールの受信も送信も出来ませんでした。このメール便は、娘のパソコンが使えましたので、試しにお送りしているところです。長女は昨日自宅のある丹波氏のほうへ帰り、家内は本日神戸に帰り、私は明後日午前中に一度帰って用事を済ませて、12月7日のお昼までには病院に来て、こちらの打ち合わせを予定しています。メールなどで神戸に届いているものを、神戸に帰った時に処理を致しますので、先生からお受けしている毎日の歌は、いつものように私のメールアドレスにお送りいただければありがたく存じます。取り急ぎとりとめのない御連絡ですが、以上よろしくおねがいいたします。お礼方々、IXIA!! 鳥飼慶陽」;延原返書メール12月4日19:39「鳥飼先生 目を見開いておられるとは、私の歌への応答です。素晴らしいことです。今朝の「ゆっくりゆったりの歌十首」おおくりいたします:

 

   〇(12月4日)

          ゆっくりゆったりの歌十首

 一 如何ばかりお辛き事か思ひつつただ御神の御手を仰ぐや
 二 我もまたあの時よくも危機のなか御手の内にて憩ひてありや
   (備考:拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか 妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』(東京・日本キリスト教出版局、2011年)、参照)
 三 歌作り心の底の嘆きをばうち開きてや御神告げつつ
 四 お嬢さんさあお目を開けなさい父母姉皆の待ちつつやあり
 五 あなたのやいのちこそぞや家族皆心の宝威張ってぐんと
 六 六時間手術どれだけ大変かよくも堪へたり御恵みありて
 七 我やしも遠方からぞ祈りてや待つや御神の与ふるその時
 八 気づけばや一家団欒不思議時心和みてお目開けなさい
 九 お父さん今偉業のや真っ最中賀川編集人気の的よ
 十 暫くやゆっくりゆったり休みなさい貴女の時や貴方のものよ

右、御大変であります。御祈りさせていただいております、希望のうちに
IXIA!
延原時行
追伸 これは月曜日9:56のメールです。これへの真砂さんの応答が、私には、「目見開き」に感じられます。宇宙は不思議ですよ。」

 

   〇(12月6日)

           称へ部屋嬉しの歌五首

 一 何時か汝言の葉出でむ待ち遠し「別嬪さん」と我妻や言ふ
   (備考:我妻信子の場合、自宅の前庭で雪囲いの真似事をやっていて、何と言う事か梯子から落ちて頭を打ち、直ちに新発田病院に入院。緊急手術。今思い出しても危機的な開頭手術。それが奇蹟的に成功。その後人工呼吸。これも奇蹟的に抜けてから、さて、言葉を話すことが大問題でした。顔色が良いので、「別嬪さんやで」と私が話しかけていたところ、「別嬪さん、別嬪さん、別嬪さん」と自分で話し始めました。「別嬪さん」が一番好きなコトバに成ってしまったのです。拙著『あなたにいちばん近い御方葉誰ですか 妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』206-207頁、参照)
 二 病室に咲く花こそやユーモアよ上方漫才如何に楽しき
   (備考:妻と話し合って、徹底して諧謔精神で病院での会話は関西弁、「えんたつ・アチャコの漫才」の調子で行くことに決めました。それがよかったですね)
 三 この世をば御神の国と称へてや称へ部屋にや真砂さま住む
 四 その故や御神まこと癒し神称へて感謝称へ部屋うれし
 五 突如にや来たるや膜下直ちにぞ救急対応ありがたきかな

 

  〇(12月6日―2)

            この朝の歌三首

一 危機の中いのち恵まれ喜びて甦りのや感謝一筋
二 この朝や嬉しや嬉し我が命御神ともがら家族一同
三 召されしも離るる非ず思へばやげに熱きもの溢れ来たるや

 

   〇(12月7日)

            新しき日の歌七首

 一 快晴ぞきのうの大雪嘘のやう新しき日の恵み称へむ
 二 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ
   (備考:復唱)
 三 「称へ部屋真砂さま住む」嬉しきや一般病棟移りしやきのう
 四 面会も午後三十分を五時間と許さるるとは何の奇跡ぞ
   (備考:鳥飼師よりのメール来12月6日付:「延原先生 何時もご加祷深謝申し上げます。「歌」とお電話も!今日の名古屋の病院からの家内の電話では、娘は本日より口から水を飲めるようになり、集中治療室から出て一般病棟の個室に移されたそうです。ぴっくりしました。熱が40度近くあるようですが、面会がこれまでは午前と午後30分だけに限られていましたが、明日から面会も2時から7時までと変更になるようです・・・」)
 五 我やしも『哲学喜び』昨日は最終結論遂に書けるや
 六 雪かきを終えへて夕餉を楽しめり想を鎮めて一気に書けり
 七 核熱狂「哲学喜び」在りてこそ脱し得るとて励みしこの書
   (備考:書名こそ『哲学の喜び チェンジに時代に、根底を省察する滝沢語録をよむ。』と名付くも、サルトル論、デカルト論、ホワイトヘッド論、而してアンセルムス論豊かなり。最後に我が最愛の歌:我妻や絶後笑み増し不思議やも深い低みの底ぞ飛翔す。我が哲学原理《原事実の「新しい現在」の産み出し》開陳せり。さらにこの原理新発想「《原受肉》=創造作用よりその参与(受肉→甦り→笑み増し)への飛翔」考究せり。楽し!)

 

   〇(12月8日)

           微笑消息の歌十四首

 一 恩師のや「原事実」げに現るや其処に「神共」受肉せるこそ
 二 肝心の事やこれなりイマヌエル「神共」よりぞ「太初」実るや
 三 「神共」のイマヌエルのぞなくばぞや如何で「太初」やイマヌエル成る
 四 この宇宙かく原受肉成りてこそ一切創造作用や発す
 五 発すとや言ふ事の意味二つなり創造作用而してや個ぞ
 六 その間にや形相仲介あるやなしあるもの何や生起一つぞ
 七 かくなれば原事実にぞ「向く」と言ふ恩師の言葉「のっけから」なれ
   (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』福岡・創言社、1988年、272頁、熟読参照)
 八 のっけから御神我に現れしこれぞ正にぞ原事実げに
 九 窮みてや原事実とは「神共」の内住なるや如何に嬉しき
 十 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ
   (備考:復唱)
 十一 この歌を詠みて初めて我覚る裏や事実に控えたる愛
   (備考:事実=原事実;愛=原受肉)
 十二 すなわちや原事実のや原受肉尊き「裏」ぞ微笑消息
 十三 汝や知る此度の事件病苦やも裏から見れば御神の愛
 十四 かく悟り汝や御神称へてや微笑消息嬉しや嬉し

 

   〇(12月9日)

           御父の御友の歌五首

 一 歌と共我の洞察したる事のちほど覚る面白きかな
 二 歌やこそ感性洞察なせるありのちほど覚る原受肉愛
 三 原受肉のや御神ぞアガぺなり絶後笑み増す不思議の主
 四 我妻や絶後笑み増す不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 五 原事実その底なるや原受肉飛翔なせるや御父の御友
   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照。主イエスは御父より「御友道」を学びたるなり。これを指して「御父の御友」と称へるなり)

 

   〇(12月10日)

           燦知りぬ嬉しもの歌十二首

 一 この頃や白菜汁を作りてや寒さ負けじと励みおるなり
 二 昨晩は『哲学喜び』結語にや最愛歌とや解説歌書く
 三 これにてや巻頭歌にや負けざるの心意気をば示したる哉
 四 人如何に如何に悲惨なるとも裏からじ神共にます見れば微笑ぞ
   (備考:復唱)
 五 「裏からぞ」原受肉ほか何あらむ「神共」ロゴス「太初」にや燦
 六 燦たるや人類(ひと)文明に刷新ぞ「あらしめられて思ふ」心地ぞ
 七 我やしも原受肉こそ燦たるの御業なりとぞ知りぬ嬉しも
 八 げにもぞや神共にます裏からぞ見れば微笑と甘えたる妻
 九 人余り独立心に励む折原受肉にぞ心溢れず
 十 恩師ぞや原受肉にぞ「向かふ」故原受肉にぞ溢るにしかず
 十一 我妻や神共にます裏からぞ見たるや嬉し甘え満開
   (備考:甘へ=シュライエルマッハ―「絶対依属の感情」)
 十二 かくてこそ我妻信子思はずや奇跡治癒をぞ重ねし嬉し

 

   〇(12月11日)

           アガぺ顕現の歌七首

 一 我が歌の神学開陳楽しぞや裏からぞ見る神共にます
 二 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ
   (備考:復唱)
 三 これをしも微笑神学我名付けむ人生の裏原受肉愛
 四 恩師言ふ「原事実」のや内実や「神共」ロゴス孕みてやあり
五 かくてこそインマヌエルの「神共」ぞ「太初」に受肉アガぺ顕現
 六 これ正に主イエス告ぐるや神の国到来歓喜嬉し嬉しや
   (備考:『マルコ』1・14-15、熟読参照)
 七 神の国到来ひそと裏からぞ悟りし父娘(おやこ)微笑交わすや

 

   〇(12月12日)

              新春七首

 一 新春やあらしめられて思ふ人類(ひと)かく思ふ如成らしめたまへ
 二 新春や「哲学喜び」上梓せむ如何に嬉しき世紀の偉業
 三 核時代脱却なすやほかならずあらしめられて思ふ哲悦
 四 核狂気闇経済や人類(ひと)をぞや滅せんとぞや百年持たず
 五 哲悦や人類(ひと)に賜へと欣求すや文明刷新今成らむため
 六 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ
 七 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す**

 

   〇(12月13日)

           愛娘のための歌三首

 一 熱誠の友の嬉しきニュウスはや「高額治療」祝さるる今日
 二 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます奇跡道あり
 三 暗き顔見せて当然なるにもや微笑交はすや今日やこの頃

 

   〇(12月14日)

           インマヌエルの温みの歌六

 (*御大変な中真砂さま主の見守りの中ご一家の愛情に包まれて治療が恵まれていらっしゃるご様子心からお慶び申し上げます。)新しい六首:

 一 人生の裏何在るや尋ぬれば「神共」受肉微笑の里よ
   (備考:我が熱誠の友への12/11, 2017 0:02 の書き出し:「鳥飼先生 ご本人(注。真砂さま)の快癒リズムとお二人(鳥飼夫妻)の調子がおよろしいようで、これは本格的な復調リズム、宜しゅうございますね。本当に嬉しく存じます。私は、信子の時以来、この復調リズムの事を、「微笑」と名付けていまして、今日の歌でも詠っていました。
人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ
① 「悲惨」(病苦)が②「裏からぞ」を通じて③「神共にます」のリアリティーを④「見る」ことに入って、⑤「微笑」の確認、つまり⑥「快癒」の自己確認――のProcessが成立することを、信子の場合に確認し、歌に残してきました。このプロセスの中で、病苦を裏から見て、「神共にます」ことを「微笑」と共に自己確認するのは、誰かと共に成すのですよね。⑦ここに一緒に見る人が重要なのです。看護婦さんの存在なのですよね。この人を通じて③「神共にます」に対して⑧「甘える」ことが治癒事件を促すうえで最も重要な治癒の契機に成ります。(以下、略))
 二 朝毎に何があらうと裏からぞ「神共」光謝し込みて燦
 三 「原事実」御光こそや謝し込みてインマヌエルの温みありけり
 四 真砂さまゆっくりじっくり笑みつつや父母の許にて養生楽し
 五 我やしも恩師カブのぞ最高の評価いただき感恩咽ぶ
   (備考:今度の英文大著Three Theological Adventures: Christology, Buddhist-Christian Dialogue, and Divine EcozoicsのChapter 3: Principles for Interpreting Christ/Buddha: Katsumi Takizawa and John B. Cobb, Jr.に関してなり。Dr. Cobb’s comment of 12/12, 2017、8:29AM: “Dear Toki, This is a remarkable achievement. You have shown how close Takizawa’s insights and my ideas are and yet not blurred the differences. You have even traced the development in our thinking. Quite an amazing piece of scholarship for which we both have good reason to thank you. I am glad you went beyond critical description to your own original formulations. If I read very carefully, I might find a few places where I would prefer a different formulation, but I am basically grateful that you have given so accurate and sympathetic an account. Congratulations. John”
My response of 12/11. 2017 at 7:51PM: “Dear John, Thank you very much for your kind and encouraging words of appreciation. I think the age of Buddhist-Christian dialogue has been a remarkable period of human achievement for mutual leaning in East/West together because of your amazing contributions. This, I believe, is basically important for other items such as Christology and Divine Ecozoics or Theological Ecology at present. I am happy to learn from both of you meticulously as well as broadly enough as a disciple of Whitehead/Nishida scholarship. Next, I will deal with Ch. 4: Sunyata, Kenosis, and Jihi or Friendly Compassionate Love: Toward a Buddhist-Christian Theology of Loyalty (Japanese Religions, 15/4, July 1989, 50-88). My final goal is Ch. 13, which is already delivered, on the Proto-factum Immanuel by Takizawa, My New Idea of the Proto-incarnation, and Whitehead’s Notion of God As Being “in” the World: Within the Context of Divive Ecozoics toward a Theology of the Great Friend.”
Dr. Cobb’s e-mail of 12/12, 2017 1:29 PM: “You are doing truly serious and creative Christian theology of a sort that is now very rare at least in the United States. John”
My response of 12/12, 2017 at 6:13: “Dear John, What a blessed privilege I am having with you! However, I am sensing that you might be saying that “You should be doing truly serious and creative Christian theology of a sort that is now very rare at least in the United States,” I thank you very much for your precious advice, Dr. Cobb.”
Dr. Cobb’s e-mail of 12/13, 2017 1:30 AM “I am not saying “should”. You are doing it in this volume. John”
My response of 12/13, 2017 11:47AM: “It is great and precious to me that you, Dr. Cobb, has mentioned that you are not saying “should.” Thank you so much for your kind observation that am doing it in the volume. Cordially, Toki”
 六 我妻の裏から応援ありてこそ我が著二冊ぞ今に生けるや

ご快癒の事、心より深くお祈り致しております。奥様、真砂さまによろしく。
『哲学の喜び』隅から隅まで推敲楽しんでいます。右、御礼方々 IXIA! 延原時行

 

  〇(12月15日)

           お出ましぞの歌二首

 (*12/15/17 我がメール12/15, 2017 11:44AM 鳥飼師宛て:「鳥飼先生 あの大雪の後寒さは寒いのですが、雪掻きするほどの雪は降りませんで,助かっています。私の言う「裏からぞ」の時の体験、それが日常になって居られて、「神共にます」見れば「微笑ぞ」の人生刷新、これは格別の事ですね。私たちの『あなたにいちばん近い御方は誰ですが』にはこの「Good Day」のいろんな経験と記録を、今思えば、収めて居るのですが、リウマチセンターでの「近い神様」の経験も素晴らしいものでした。体中が痒いと言って大騒ぎの時でした。看護師さんたちも痒がる信子を囲んでどうにもできない。その時、「ノーちゃん、神様が一番近い御方やから、お任せしとき」と言った時、「ウン」と言ったまま、すっかりノーちゃんは静かになりました。不思議な一瞬。

これが、人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ、の時なのでした。これが、『哲学の喜び』では、《原事実の「新しい現在」の産み出し》の時の事と成ります。原事実に「向かう」恩師に対して、私の場合、

 一 原事実それまだにぞや「神共」の御光受けて輝かむ哉

となる場面「原受肉」であります。一番近い御方のお出ましの時が始まります。

 二 御神のお出ましぞ今その時ぞ甘へて待てや人の子汝や

右、御礼方々
お早うございます
IXIA!
延原時行」

(*鳥飼師メール便12/15,2017 8:53 AM: 「延原先生 お早うございます。新発田は雪でしょうか。連日の雪かきの季節、先生は万事上手に日々の生活のリズムにしてお過ごしのことでしょう。名古屋は晴れた朝で部屋に暖かな日差しが差し込んでいます。相方は神戸に帰っていて、こちらでは朝食を済ませて、何時ものように掃除と洗濯をして、パソコンに向かいました。先生のブログをUP出来ないのが残念ですが、先生からお送りいただいた昨日と今朝の先生の歌を味読しているところです。先生の『哲学の喜び』もこうゆうときには格別の「座右の書」となっています。お蔭様で一昨日の手術の後も娘は昨日は15分ほど両手など上手にリハビリをしていただいて、夕食も看護師さんがゆっくりとずいぶん長い時間をかけて、用意していただいた食べ物をほとんど食べることができました。あっぱれなことでしが。食後は大満足をしたのかすやすやと・・・。今日は相方もこちらに戻ってきますので、2時から7時までの面会にふたりでまいります。名古屋は11度まで気温が上がるようですので、市場への買い物もかねて、いつものようにぶらり散歩を楽しもうと思っています。いつも御加祷ありがとうございます。どうぞよい一日を!
御礼かたがた
IXIA!!
鳥飼慶陽」)

 

   〇(12月16日)

           この時やの歌六

 一 この時や汝が賀川本活力ぞ溢れけるかな介護のためぞ
 二 活力のなくて如何にぞ愛娘いと近き神共に拝せむ
 三 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ
   (備考:復唱)
 四 我やしも近き御神仰ぎてや妻共痒み脱せし嬉し
 五 看護師さん手足もみてや御神に甘へたる人あやすや如し
 六 『哲学の喜び』こそや今の時核の狂気の裏からの燦

 

   〇(12月17日)

           情や王座嬉しきの歌八首
 
(*拙メール歌12/17, 2017 10:47 AM:「鳥飼先生 お早うございます。情や王座嬉しきの歌八首:

 一 何よりぞ安心こそや薬なり指圧あればや近き神“共”
 二 親指と人差し指の付け根をば押せばいのちの泉げに湧く
 三 我妻や我の指圧を自慢して「名医あり」とはいと可笑しもや
 四 なべてにぞ満足ありて微笑あり病人なりの嬉しさこれぞ
 五 常のぞや多忙や去りて親子のぞ情や王座と如何に嬉しき
 六 我やしも日に三度ごと祈りてや「召されしも不離」思ひ溢るや
 七 親しきや朋友家族笑みや在り御神祝福如何に幸なる
 八 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ
   (備考:復唱)

右、今日もご快癒を御祈り申し上げます。
近き主にありて。
IXIA!
延原時行」

 

(先生から頂いた12月18日の歌は昨日の「第1回」に収めました。)