延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版62

お早うございます。「今日の歌」有難うございます。先生は滝沢書簡を再読「猛思索」とのこと、私も昨日は滝沢克己協会の滝沢記念論集へ寄稿するために滝沢先生から頂いたお手紙を眺めて過ごしました。滝沢先生のお手紙には、たびたび延原先生ご夫妻のことが認められていて、先生のご活躍を大いに期待されている様子が伝わって参ります。今日も良い一日を!

 

○(2月20日)

     出合ふことの幸の歌十一首

         (* 鳥飼先生 2/19, 2018 22:41)

一 安心な相談員や何処にも訪ねてみれば出合ふや幸ぞ
二 我も今日雪の中でや恩師のや書簡再読猛思索なる
  (備考:『平安ありて平和なる』156頁以下に引用・考察せし最晩年の恩師滝沢克己先生の懐かしい御書簡(1983年7月1日付)久しぶりに大いなる喜びの内に耽読せり。これもまた出合ふ幸なりき)
三 新著にや附する断章「最後のや光明」燦然歓喜爆発
四 恩師はや「本質規定」我の言ふ「新現在」を産むものとなす
  (備考:「原事実」恩師に取りてや神性の偶有的ロゴスなるも、《それの「前」には非ず、それと「共に」成り立つロゴス》なるホ氏の所説を我対置したるに、驚く莫れ、それが師の言ふ「根源的本質規定」なりとや。かくて、この「規定」(原事実が偶有的なるに反して)発展的生産的ロゴスなりとは!) 
五 新発見「滝沢哲学」新解釈産むや驚き明日から書かむ
六 かくてぞや『哲学喜び』最後のや展開果たす事と成らむや
七 第三のロゴスそれでは何なるか「アバ父」と言ふ「御友」なり
八 「御友」こそ御父の心悟りてや「僕に成らず」神学びなす
九 神こそや存在論的至誠をば神性に持し猶至誠自覚す
十 この心見る者とてや「御友」なり第三ロゴスなる所以なり
  (備考:『マタイ』5・48、熟読参照。天父の「存在論的至誠かつ自覚的至誠」を検証=見性なすものこそ御友なり。御友を除きて、直接天父の心事をのぞき得る者皆無なり。この点、恩師は「神性と天父は存在論的に同一なり」との主張を繰り返すも、御友を通さずしてこの論持する事不可能とは我が主張点なり。「神性と天父の存在論的同一性は必ず自覚的態度的要因を含むなり」とは我が説なり、何となれば御友を通してほかこの事見えぬ故なり。恩師は、御友を押しのけてまで、「神性と天父の存在論的同一性論」を主張なさる気味あり。ここに、第三のロゴス=御友の認識(『ヨハネ』1・1・第三項)神学的に不可避なり)
 十一 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:「深き低み」の底ぞ飛翔すとは、、御友の境域なり。「原事実」の底まで遜り、そこから天父の御許まで飛翔なす「御友の境域」(第三のロゴス域)なくば、宇宙的救済はけだし在り得べからざるものなり。それを詠ふべく作りし歌これなり。この歌や恩師の哲学にはなきなり。我が妻の宇宙的救済論的貢献此処に在るなり、と我痛感す)

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師、2/19, 2018 7:15 PM: 「今日も有難うございます。今日は午前中、ぶらり散歩もかねて「生きいき支援センター」(地域包括支援センター)を訪ねて、これからのことについて親切なサポートをいただくことが出来ました。リハビリ病院でも相談員の方に報告して、より適切な助言をいただくことが出来、大きな安心をもらいました。娘の仕事復帰にはまだまだ道は遠いのですが、よくもまあここまで!という感恩のおもいがひとしおです。御礼かたがた、ご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)