延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版64

当方の勘違いで今日のUPが遅れてしまい、済みませんでした。いつも夕食の後に、一日の御礼とご報告を短く一言差し上げて、日ごとに先生の新しい歌をいただいていますのに、それを忘れてしまって、勝手なお願いをして恐縮なことでした。今日はもう夕刻になってしまいましたが、遅まきながら「今日の歌」を収めさせていただきます。

 

○(2月22日)

鳥飼先生

御挨拶を昨夜は送信いただきませんでしたので、私の歌だけ、今朝の「風の便り」で何時もの様に配信しております。ご覧ください。

此処にも入れておきましょう:

 

  空に至誠の神のダイナミズムの歌七首

 * 鳥飼先生、2/22, 2018, 1:18

 一 最晩年我が至誠論取り上げつ「根源規定」考慮せる恩師
 二 空にぞや神至誠なるゆえにこそ逆理ありたり「至誠なれ」とぞ
    (備考:これ我が「至誠心の神学」の逆理なり。この神学に三原則あり:①空に神至誠なり;②空は空自らを空ず;③この宇宙に於いて神のみ我々被造物に至誠心を喚起することが出来、現に喚起するところの御方なり。このうち第一原理「空への神の至誠」は、第三原理において逆理「神自らが《空への至誠》の故に《被造物に至誠心を喚起することを得べし》」を産むべし)
 三 恩師のや「根源本質規定」はぞ「原事実」にぞ寄り添ふ原理
 四 ところがや『至誠心のぞ神学』の影響承けて《逆理》採用
 五 これはしも『純粋神人学』にてや大理論にぞ成りたるやげに
   (備考:『純粋神人学序論』273頁を参照されたし:「純粋に神人学的に考える人間は、したがって、自分自身を一つの存在者として知っている。この存在者は一方では、絶対的に偶然的であり、あらゆる歴史的形態委を持った規定から自由であり、他方ではしかし、何よりもまず、そのようなもろもろの規定とは比較にならないほど厳しい、唯一の神の規定、すなわち人間は、まさしくはじめから終りまで、このような偶然的存在者として自分自身の生涯において生ける神ご自身を表現すべきであるという、唯一の神の規定の下に立っているのである。このようなものとして人間は、たとえ苛酷な歴史的状況にあっても、絶えず希望に満ちている。」)
 六 偶有の「原事実」にぞ伴ふは「神表現」の絶対規定
 七 かくて満つ滝沢哲学ホ氏に似て創作用なるダイナミズムや

IXIA!
延原時行