延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版71

お早うございます。今日も先生からの「今日の歌」が届き、雷と風雨も去って、明るい日が射してきました。「共創」の妙、新しい一日がはじまりました!

 

〇(3月1日)

    やるだけが人生か賢者一案の歌十首

         (* 鳥飼先生 2/28, 2018 21:33)

一 春来たる機動的なる行動やとりて外泊リハビリやあり
二 我もまた学会誌のや査読にて大急ぎのや作業終へたり
三 それもぞや社会の回転ありてこそ命進むややるほかぞなし
四 ほかにもや急ぐ仕事のありてこそ急がぬ御方尻たたかねば
五 かく思ふだけではしかし動かぬや人の心やよく注意せよ
六 さてもさて如何な結末在らむかな沈思黙考光萌すや
七 どこかでや線引きなすや仕方なしいや待て暫し賢者一案
八 此処に在り恩師御書簡書き残し「神表現」の規定麗し
  (備考:拙著『平安ありて平和なる』、158-160頁、参照)
九 この規定我が至誠心の神学の力動承けて「創作用」と化す
  (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』、272-275頁、参照)
十 「神表現」ホ氏最晩年の「共創」(Co-creation)といかに酷似かげにも燦
  (備考:See Dialogues of ANW, 366: “In so far as man partakes of this creative process does he partake of the divine, of God, and that participation is his immortality, reducing the question of whether his individuality survives death of the body to the estate of an irrelevancy. His true destiny as co-creator in the universe is his dignity and his grandeur.” = 滝沢克己『純粋神人学序説』273頁:「純粋に神人学的に考える人間は、したがって、自分自身を一つの存在者として知っている。この存在者は一方では、絶対的に偶然的であり、あらゆる歴史的形態を持った規定から自由であり、他方ではしかし、何よりもまず、そのようなもろもろの規定とは比較にならないほど厳しい、唯一の神の規定、すなわち人間は,まさしくはじめから終りまで、このような偶然的な存在者として自分自身の生涯において生ける神ご自身を表現すべきであるという、唯一の神の規定の下に立っているのである。このようなものとして人間は、たとえ苛酷な歴史的状況にあっても、絶えず希望に満ちている。」)

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 2/28, 2018 6:00 PM:「今日も有難うございます。今晩は「爆弾低気圧」で名古屋も大荒れの予報が出ていますが、昼間はぽかぽか陽気で、娘のリハビりもしっかり外歩きをしたり昼間のお風呂もあったり、忙しくしていました。週末にははじめての自宅に戻る外泊が予定され、娘からは、病院から自宅までタクシーで帰るのではなく、病院の近くの地下鉄に乗り、途中下車をして昼食をとり、そこから市バスに乗って自宅に帰る、という案を考えているようで・・・本人がそういうことも可能であるというのであれば、それにチャレンジしてみるのもいいのでは・・・などと語り合いました。いよいよ明日から新しい月に進みます。
御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)