延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版76

お早うございます。昨日の風雨一転、今朝は爽やかな快晴。「延原哲学」ー「至誠心の神学」-の妙、今朝の歌にも深い省察と讃歌! いい一日のはじまりです。

 

3月6日

鳥飼先生

    「神表現」の本番『序説』までの歌十七首

一 恐らくや高次脳機能の最たるや「空」「原受肉」含まれむかな
二 かくしてや堂々三点原理成す「原事実」「至誠」「神表現」や
三 恩師のや体系内に至誠心原理成すなし二軸や癒着
  (備考:これ滝沢の学問の欠陥なりき:原事実と根源的本質規定癒着したりき。それに痛棒与へしが、我が「至誠心の神学」ならむ)
四 それをこそ明示せるもの我が原理至誠心のや神学これぞ
五 空に神至誠なる事仏基のや根源関係解明なるや
六 滝沢や仏基関係明示せぬ主要な論者我ぞ切り込む
七 それまでは仏基如何の問題や滝沢解かず原事実基一
  (備考:『仏教とキリスト教』に於いてや久松禅学を取り上げ神人の第一義の接触(=原事実)を一切の宗教の根底と見て、一切の宗教を神人の第二義の接触とせし事による宗教間対話に道を拓きしも、「空と神」の問題解決には、進まざりき。その在り方を我「原事実基一」とは呼ぶなり)
八 しかれども星野元豊切り込みぬ原事実の底空なるぞやと
  (備考:星野氏滝沢の『著作集7』に収めたる『仏教とキリスト教』(京都・法蔵館、昭和48年刊、460-461頁、参照)の「解説」中で単純なる原事実論を破り、その底に「総てを含む」「絶対無」「絶対空」ともいうべき真如海をもう一つ根柢において指摘なしたり。これ画期的なる業績なり。第一義の接触を「①自分自身の処にも、②そのままに現在する永遠の事実としても」認めつつ、第二義の接触はこの場合、「救済の行としてのイエス」あるいは機法一体[仏凡一体]を考える、と言ふ)
九 これを承け仏基の問題至誠心神学により我解明す
  (備考:我が至誠心の神学三原理あり:①神空に至誠なり;②空は空自らを空ずるなり;③宇宙に於いて神は我ら被造物に至誠心を喚起なす事の出来、また現に喚起なす唯一の御方なり。③が「根源的本質規定」なる「神表現」に該当する事、重要なり)
十 恩師はや御書簡にてや至誠学顧慮なさりてや前進す
十一 「原事実」その絶対性矯めてぞや「神表現」の「規定」出ずるや
十二 かくみれば御書簡予行演習ぞ「神表現」の本番『序説』
  (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』(福岡・創言社、1988年)272-275頁、参照)
十三 人々は一驚せむも滝沢や仏基論にや手抜かりやあり
十四 「第一義」星野説言ふ深み無し原事実のや底や見えざる
十五 今やこそ「原受肉」とや我の言ふ「神共」「太初」逆接点ぞ
  (備考:『ヨハネ』1・1・第二項と第一項切り結ぶ点「原受肉」、受肉の前にあるなれど、深くも深し、原事実のや底。『序説』では恩師「原事実」とや「神表現」いとも軽みや二者共語る風!
十六 西田言ふ絶対矛盾自己同一正に一なる「神共」「太初」 
十七 この「一」や原事実のぞ底なるや真如海とや言ふべくやそも

IXIA!
延原時行

Subject: 御礼

今日も有難うございます。名古屋は久しぶりの雨でしたので、昨日に続いてバスを乗り継いでの往復でした。病院ではクモ膜下出血の後遺症のひとつに高次脳機能障害が残る可能性もあることを教えていただいて、早速今日は、名古屋市総合リハビリテーション病院での検査予約の手続きをはじめたりいたしました。順番待ちがずいぶん長いようですが、いっぽいっぽ手順を踏みながら、正確な診断をうけながら、仕事復帰のみちを探ることになります。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽