延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版77

お早うございます。今朝も先生からの「今日の歌」が届きました。思いもかけなかった娘の介護の暮らしのなかで、朝ごとに届く先生の歌は大きな慰めと力となっています。イエスの教えた「主の祈り」と共に、先生が若き日より大事にされ、共にしてきたキリスト教の「称名」ーーIXIA(イエスース・クリストス・インマヌエール・アーメン)ーーにあって、確かな平安と力を受けています。

 

○(3月7日)

     イエスに倣ひての歌十三首

         (* 鳥飼先生 3/6, 2018 20:34)

一 げに一歩イエスに学ぶ至誠心リハビリや是誠まことに
二 それにせよ滝沢「神共」一度もや論及せざる何故「太初」のみ
三 バルトから学びしままのイマヌエル「神人」関係「神言」でなし
四 イマヌエル元の姿や《pros ton theon》御友神学歴然たるや
  (備考:『ヨハネ』1・1・第二項、熟読参照。これ、イエスの始めし「御友神学」にて御父に学び給ひし道なり:『ヨハネ』15・15「我もはや汝らを僕とは言はず。父から聴きたることなべて告げたれば、友よ、と言ふなり」)
五 ここで我御友神学いふものや思ひてこそやイマヌエル知る
六 この点に恩師の学やバルト亜流聖書思想に忠実ならず
七 汝らの天の父のや全きやかくの如くに至誠なれかし
  (備考:『マタイ』5・48、熟読参照。天=真如海)
八 主イエスはや天に至誠の父見てや至誠なれやと命じたるなり
  (備考:『マタイ』5・48。我が「至誠心の神学」この主イエスに従ひたるや)
九 恩師はや御友神学露知らずバルト追随至誠心欠く
十 かくなれば「神表現」の規定もや「天父の至誠」欠くる如くや
十一 先ず神に至誠無くばや如何にして我ら至誠を学ぶ機ありや
十二 かく見ればホ氏の「共創」優れるも「神表現」や神主義過剰
  (備考:神主義過剰とは、「神の神性(真如海)への至誠心」見えぬ故なり)
十三 もしもぞや「天」の解釈「真如海」以てなせばや如何に至当か
  (備考:これ、滝沢の言ふ「教会の壁の外」の智慧に学ぶ聖書解釈にならむか。『純粋神人学序説』275頁に言ふ、「真にキリスト教的な言葉と直接に美しく共鳴し合う言葉」をここに聴くのではないか。「天」の形而上学的神学的含蓄、普通削いでいまいか。大体、「天」の神学的考察確立しておらぬ如し。「天にまします父」とは、(仏教で言ふ)「真如海に至誠なる父」の事なるべし。かく考へれば、恩師の言ふ「神表現」とは、「真如海に至誠なる父」を表現する「至誠なる人」の事なり。これ、イエスの教へし道なり)

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 3/6, 2018 5:56 PM:「今日も有難うございます。穏かな日和でした午前中は買い物を兼ねたぶらり散歩で、早咲きの桜を目にしたり、お昼は自転車に乗って病院まで・・・。昨日から連絡を取っていた名古屋市総合リハビリテーション病院での4月の検査予約が可能になり、併せて今月末までの現在のリハビリ病院の退院日も、娘の誕生日が3月19日ですので、その日に合わせて少し退院を早めたいという娘の要望をお伝えしたりいたしました。希望がかなえれましたら、愈々退院して自宅での生活がはじまり、仕事復帰への願いを実現するための新しい日々となります。一歩一歩です。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)