延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版85

お早うございます。今朝、玄関にゴミ出しをすると、つがいのカワラヒワがいて、「おはよう」とあいさつをしてくれました。ぼくも「おはよう」とあいさつをしました。先生からは今朝も「新しい歌」が届きました。いよいよ新著の「巻末謝辞」も出来上がったようです!

 

3月15日

鳥飼先生

    滝沢哲学光明溢れ、哲悦燦の歌十首

一 人間の第一義的規定はぞ「神表現」と恩師言ふなり
二 さまざまの夾雑物を除きてや人も社会も「神表現」ぞ
三 先達に新著「巻末謝辞」告ぐやその喜びの如何に大なる
  (備考:昨日や小野寺功先生宛て一文草したり:「冠省 御免ください。便箋が丁度なくなりまして、相済みませぬ。愚作、さいごに巻末謝辞を附する事と致しました。同封の『哲学の喜び』目次の8頁に付加致して居ります様に、末尾は「巻末謝辞」と相成ります。

巻末謝辞 最晩年の書簡に見る滝沢哲学最後の光明――原事実より根源的本質規定「神表現」のダイナミズムへ
第一節 滝沢書簡(1983年7月1日付)とわが短歌神学日記
第二節 新たなる短歌神学日記
第三節 滝沢書簡と『純粋神人学序説』を繋ぐもの

「一」 は、拙著『平安ありて平和なる』156-162頁、「二」は、「風の便り」2月号10頁以下、3月号1頁以下。「三」は、これから完成致します。その主旨は、(一)1983年7月1日付滝沢先生ご書簡の重要文献でありますこと、(二)これは先生が、私の「至誠心の神学」の提案をご丁寧に論評下さったからであります。その結果、ご自身の「根源的本質規定」の視点からこれを肯定されています。そして、『純粋神人学序説』(1988年)に於いて「神表現」の画期的な新学説(ハイデルベルク・アドレスで公開、1984年)として激しく打ち出されました。これは、私と致しましては、新しい大発見です。
① 最晩年の私ヘのご書簡に於ける
② 私の「至誠心の神学」の提案の吟味により
③ 『純粋神人学序説』に於ける「神表現」のご主張により
ホワイトヘッドとほぼ同等の哲学観(「神表現」)を打ち出されました。これは、滝沢哲学最後の大業績、光明であります。
ホワイトヘッドの最終的哲学観は神との「共創」≪co-creation [Dialogues of ANW, 366])として知られています。
  2018年3月13日           右、御教導に深謝しつつ  不一
                               延原時行拝
小野寺 功先生」
四 何しろや滝沢哲学最後のや光明やこれ「神表現」ぞ
五 「原事実」人の在り処と聴きしがや何のためかと窮むや今ぞ
六 このために「至誠心のぞ神学」を我提言す恩師にこやか
七 空に神至誠なるにやありけるを逆理転じて神至誠喚ぶ
八 人として至誠を神に喚ばれてや「神表現」を尽くさむか汝
九 かくてぞや原事実はや今やこそ「新現在」を産み出しぬげに
十 新現在「神表現」成しつつや我ら哲悦溢るるや燦


Subject: 御礼

今日も有難うございます。朝から温かい日和で、昼間は23℃にも上昇し、自転車の往復も汗ばむほどでした。娘の退院日は来週月曜日ですから、入院生活もあと少しとなり、リハビリもたっぷりと詰まっているようです。退院後は早々に、最初救急で入院して手術をしていただいた先生のもとで、MRIなどの詳しい検査を受ける手はずも整えていただきました。当初リハビリ病院でも水頭症の危険が危惧されてきましたが、ここまでのところその壁も越えつつあるようで、今後しばらくのあいだ定期的な検査を続けていただくことになります。ありがたいことです。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽