延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版78

お早うございます。今朝も新しい歌が届きました。先生の師のひとり「滝沢克己」との長年にわたる往復書簡は、先生によって少しずつ公開され注目されています。今日の歌も「滝沢書簡」の先生独自の重要な省察の歌です。

 

○(3月8日)

     《pros》と父子両極の歌十首

            (* 鳥飼 3/7, 2018 23:27)

一 面会や楽しきことや喫茶店親娘出合いて英気満々
二 今日ひとつ恩師の追伸じっくりと拝読せんか楽し楽しも
三 最晩年御書簡追伸主題はや「癒着回避」ぞロゴス論げに
四 この書簡『平安ありて平和なる』掲載論評貴重なるかな
  (備考:拙著『平安ありて平和なるーーホワイトヘッドの平和論。西田哲学、わが短歌神学日記』(新潟・考古堂、2017年)XXVII(2016年6月23日)再読すの歌十四首の内第一首に御書簡大部なもの(1983年7月1日付)挿入したるに、最後の第13頁落としたるなり:「『将棋の哲学』の中では、「太初の言葉」は、事実存在する一々の駒・すべての駒に平等に直属する根源的普遍的本質規定のやうに述べられてゐますが、駒達の事実存在が、その意味の「言」から出てくるわけではない、両者の不可視のバックに両者を同時に成り立たしめてゐる真実の無的主体の在ることは云ふまでもありません。ヨハネ冒頭に「言が肉となった」といはれる言は、一々の駒の許に在る限りの、真実主体(永遠の御子)のことでせう。その肉のイエスは人間存在の根源的本質規定にtreuですが、それは、後者から前者が出る(後者によって前者が規定し尽される)といふことではないでせう。」)
五 恩師もや「原事実」とや「神表現」癒着充分注意したるや
六 それ故に御書簡「追伸」書かれたり「真実無的主体バックに」
七 ただしかし「太初の言」論ずるの特徴越えて「神共」なくば
八 「神共」のロゴスを述ぶる時にもや《pros》[共]と両極[父子]区別論要す
九 絶対無なる主体なす《pros》[共]示すや父子至誠極
   (備考:『ヨハネ』1・1・第二項では、”ho logos een pros ton theon” (the Word was with God)と言ふセンテンスに於いて《pros》[共]が絶対無的主体にして、三位一体的空間=神性なり。その両極父子、神とロゴス、これに至誠なり)
十 《pros》[共]がぞや父子至誠なる神性ぞ「太初」に入りて原受肉

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 3/7, 2018 5:17 PM:「おかげさまでこの三か月あまりのあいだ、いちども風邪にもかからずに、元気で過ごすことができていましたが、今朝のぶらり散歩で、少し鼻かぜの気配・・・それで大事をとってしばし横になり、昼食をいただいて、すっかり元気になって・・・・チャリンコに乗って娘の面会に・・・1時間余りの時間をゆっくりと・・・。病院での生活から少しずつ日常の生活に戻っていく大事な時のようです。明日は雨のようですが、引き続いて外出許可をもらって、外歩きと喫茶店を楽しんでみたいと思っています。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)