延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版80

お早うございます。我が導師・延原先生から今朝も新しい歌を拝受いたしました。いただいた今日の歌は、いま温めつつある新著の「はしがき」に飾らせていただくことが出来れば嬉しいな、と願いつつ、ここに収めさせていただきます。

 

○(3月10日)

      二人三脚ご挨拶の歌十首

          (* 鳥飼先生 3/9, 2018 21:20)

一 記念の書出づることこそ目出度きや御神の愛溢る嬉しや
二 春とはぞまだ言ひ難き越後のや冷気悔しも祝ひげに致さむ
  (備考:名古屋のご住所お知らせください)
三 真砂さま発病にぞや我が歌を届けむものと三月や必死
四 三か月大雪止む事相成らずベランダに積み励みしや我
五 ご住所をゆっくり訊くはあとの事ままよ歌をと急ぎ作りし
六 幸ひに我妻のげにせがみたる拙著完成間近きや春
七 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
  (備考:復唱)
八 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
  (備考:復唱)
九 「本作る父さんやって」妻の言ふ命の際の願ひ果たさむ
  (備考:2014年2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクターの問「何したい」に答へたる妻の遺言なり)
十 我にぞや天地に別れおるもぞや妻活発に二人三脚

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 3/9. 2018 5:42 PM:「今日も有難うございます。朝は雷雨、そして一日中強風が続きました。自転車は少々危険を感じましたが、元気いっぱい往復してきました。娘の笑顔を見るのが私たちの一日の仕事になっています。鼻水を止める風邪薬を買ってきたりして、季節の変わり目に気を付けながら・・・新著づくりの方もほぼかたちが見えてきました。1968年春に新しい歩みをはじめて丁度今年は50年の節目になるようですので感謝の記録でもあります。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)

 

延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版79

お早うございます。朝方は雷雨もあったりしましたが、ゆっくりと晴れてくるようで、チャリンコも気持ちよさそうです。先生の今日の歌は、私にとっても一番忘れがたい出来事の歌です。いい朝です!

 

○(3月9日)

      献ぐる歌の歌七首

        (* 鳥飼先生 3/8, 2018 21:48)

一 さまざまな喜び企画人やあり我に一首の歌あり献ぐ
二 この歌や喜びの歌我妻に献ぐる歌よ嬉し嬉しも
三 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
  (備考:復唱)
四 あの夜やそっと棺(ひつぎ)を開け見れば口丸めてや我妻称名
  (備考:2014年3月12日熱誠の友鳥飼慶陽師司式の前夜式終へたる夜の出来事なり。妻のからだ死後硬直非ず。称名の丸き口御神誉めつつ笑み限りなし)
五 人とはや絶後笑み増し御友とも底ぞ飛翔す天父御許へ
六 御心を天父より受く朝夢や「我信子をぞ甦らせり」
  (備考:2014年5月20日早朝なり)
七 底こそや恩師み教へ「原事実」下へ超ゆるもげに飛翔の燦

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 3/8, 2018 5:53 PM:「今日も有難うございます。雨の一日でしたが、面会に傘をさしてゆっくりと安全運転で往復してきました。昨日に続き今日も許可を戴いて近くの喫茶店に外出の予定でしたが雨のため断念し、病院内の喫茶室などでおしゃべりをして元気な姿を見て帰ってきました。このところずっと新著『賀川豊彦と神戸――在家労働牧師の小さな実験』(仮題)の構想を練っていますが、我が家の大蔵省の内諾を得ることが出来ていませんので、今回も賀川関連の「出版助成」の申請を行うべく、いまじっくりと中身の吟味を重ねているところです。最新の論考を軸にこれまでの著書に未収録の論考を加えて一本にする楽しい時ですが、これもゆっくりとすすめていくつもりです。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)

 

延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版78

お早うございます。今朝も新しい歌が届きました。先生の師のひとり「滝沢克己」との長年にわたる往復書簡は、先生によって少しずつ公開され注目されています。今日の歌も「滝沢書簡」の先生独自の重要な省察の歌です。

 

○(3月8日)

     《pros》と父子両極の歌十首

            (* 鳥飼 3/7, 2018 23:27)

一 面会や楽しきことや喫茶店親娘出合いて英気満々
二 今日ひとつ恩師の追伸じっくりと拝読せんか楽し楽しも
三 最晩年御書簡追伸主題はや「癒着回避」ぞロゴス論げに
四 この書簡『平安ありて平和なる』掲載論評貴重なるかな
  (備考:拙著『平安ありて平和なるーーホワイトヘッドの平和論。西田哲学、わが短歌神学日記』(新潟・考古堂、2017年)XXVII(2016年6月23日)再読すの歌十四首の内第一首に御書簡大部なもの(1983年7月1日付)挿入したるに、最後の第13頁落としたるなり:「『将棋の哲学』の中では、「太初の言葉」は、事実存在する一々の駒・すべての駒に平等に直属する根源的普遍的本質規定のやうに述べられてゐますが、駒達の事実存在が、その意味の「言」から出てくるわけではない、両者の不可視のバックに両者を同時に成り立たしめてゐる真実の無的主体の在ることは云ふまでもありません。ヨハネ冒頭に「言が肉となった」といはれる言は、一々の駒の許に在る限りの、真実主体(永遠の御子)のことでせう。その肉のイエスは人間存在の根源的本質規定にtreuですが、それは、後者から前者が出る(後者によって前者が規定し尽される)といふことではないでせう。」)
五 恩師もや「原事実」とや「神表現」癒着充分注意したるや
六 それ故に御書簡「追伸」書かれたり「真実無的主体バックに」
七 ただしかし「太初の言」論ずるの特徴越えて「神共」なくば
八 「神共」のロゴスを述ぶる時にもや《pros》[共]と両極[父子]区別論要す
九 絶対無なる主体なす《pros》[共]示すや父子至誠極
   (備考:『ヨハネ』1・1・第二項では、”ho logos een pros ton theon” (the Word was with God)と言ふセンテンスに於いて《pros》[共]が絶対無的主体にして、三位一体的空間=神性なり。その両極父子、神とロゴス、これに至誠なり)
十 《pros》[共]がぞや父子至誠なる神性ぞ「太初」に入りて原受肉

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 3/7, 2018 5:17 PM:「おかげさまでこの三か月あまりのあいだ、いちども風邪にもかからずに、元気で過ごすことができていましたが、今朝のぶらり散歩で、少し鼻かぜの気配・・・それで大事をとってしばし横になり、昼食をいただいて、すっかり元気になって・・・・チャリンコに乗って娘の面会に・・・1時間余りの時間をゆっくりと・・・。病院での生活から少しずつ日常の生活に戻っていく大事な時のようです。明日は雨のようですが、引き続いて外出許可をもらって、外歩きと喫茶店を楽しんでみたいと思っています。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)

 

延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版77

お早うございます。今朝も先生からの「今日の歌」が届きました。思いもかけなかった娘の介護の暮らしのなかで、朝ごとに届く先生の歌は大きな慰めと力となっています。イエスの教えた「主の祈り」と共に、先生が若き日より大事にされ、共にしてきたキリスト教の「称名」ーーIXIA(イエスース・クリストス・インマヌエール・アーメン)ーーにあって、確かな平安と力を受けています。

 

○(3月7日)

     イエスに倣ひての歌十三首

         (* 鳥飼先生 3/6, 2018 20:34)

一 げに一歩イエスに学ぶ至誠心リハビリや是誠まことに
二 それにせよ滝沢「神共」一度もや論及せざる何故「太初」のみ
三 バルトから学びしままのイマヌエル「神人」関係「神言」でなし
四 イマヌエル元の姿や《pros ton theon》御友神学歴然たるや
  (備考:『ヨハネ』1・1・第二項、熟読参照。これ、イエスの始めし「御友神学」にて御父に学び給ひし道なり:『ヨハネ』15・15「我もはや汝らを僕とは言はず。父から聴きたることなべて告げたれば、友よ、と言ふなり」)
五 ここで我御友神学いふものや思ひてこそやイマヌエル知る
六 この点に恩師の学やバルト亜流聖書思想に忠実ならず
七 汝らの天の父のや全きやかくの如くに至誠なれかし
  (備考:『マタイ』5・48、熟読参照。天=真如海)
八 主イエスはや天に至誠の父見てや至誠なれやと命じたるなり
  (備考:『マタイ』5・48。我が「至誠心の神学」この主イエスに従ひたるや)
九 恩師はや御友神学露知らずバルト追随至誠心欠く
十 かくなれば「神表現」の規定もや「天父の至誠」欠くる如くや
十一 先ず神に至誠無くばや如何にして我ら至誠を学ぶ機ありや
十二 かく見ればホ氏の「共創」優れるも「神表現」や神主義過剰
  (備考:神主義過剰とは、「神の神性(真如海)への至誠心」見えぬ故なり)
十三 もしもぞや「天」の解釈「真如海」以てなせばや如何に至当か
  (備考:これ、滝沢の言ふ「教会の壁の外」の智慧に学ぶ聖書解釈にならむか。『純粋神人学序説』275頁に言ふ、「真にキリスト教的な言葉と直接に美しく共鳴し合う言葉」をここに聴くのではないか。「天」の形而上学的神学的含蓄、普通削いでいまいか。大体、「天」の神学的考察確立しておらぬ如し。「天にまします父」とは、(仏教で言ふ)「真如海に至誠なる父」の事なるべし。かく考へれば、恩師の言ふ「神表現」とは、「真如海に至誠なる父」を表現する「至誠なる人」の事なり。これ、イエスの教へし道なり)

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 3/6, 2018 5:56 PM:「今日も有難うございます。穏かな日和でした午前中は買い物を兼ねたぶらり散歩で、早咲きの桜を目にしたり、お昼は自転車に乗って病院まで・・・。昨日から連絡を取っていた名古屋市総合リハビリテーション病院での4月の検査予約が可能になり、併せて今月末までの現在のリハビリ病院の退院日も、娘の誕生日が3月19日ですので、その日に合わせて少し退院を早めたいという娘の要望をお伝えしたりいたしました。希望がかなえれましたら、愈々退院して自宅での生活がはじまり、仕事復帰への願いを実現するための新しい日々となります。一歩一歩です。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)
   

 

延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版76

お早うございます。昨日の風雨一転、今朝は爽やかな快晴。「延原哲学」ー「至誠心の神学」-の妙、今朝の歌にも深い省察と讃歌! いい一日のはじまりです。

 

3月6日

鳥飼先生

    「神表現」の本番『序説』までの歌十七首

一 恐らくや高次脳機能の最たるや「空」「原受肉」含まれむかな
二 かくしてや堂々三点原理成す「原事実」「至誠」「神表現」や
三 恩師のや体系内に至誠心原理成すなし二軸や癒着
  (備考:これ滝沢の学問の欠陥なりき:原事実と根源的本質規定癒着したりき。それに痛棒与へしが、我が「至誠心の神学」ならむ)
四 それをこそ明示せるもの我が原理至誠心のや神学これぞ
五 空に神至誠なる事仏基のや根源関係解明なるや
六 滝沢や仏基関係明示せぬ主要な論者我ぞ切り込む
七 それまでは仏基如何の問題や滝沢解かず原事実基一
  (備考:『仏教とキリスト教』に於いてや久松禅学を取り上げ神人の第一義の接触(=原事実)を一切の宗教の根底と見て、一切の宗教を神人の第二義の接触とせし事による宗教間対話に道を拓きしも、「空と神」の問題解決には、進まざりき。その在り方を我「原事実基一」とは呼ぶなり)
八 しかれども星野元豊切り込みぬ原事実の底空なるぞやと
  (備考:星野氏滝沢の『著作集7』に収めたる『仏教とキリスト教』(京都・法蔵館、昭和48年刊、460-461頁、参照)の「解説」中で単純なる原事実論を破り、その底に「総てを含む」「絶対無」「絶対空」ともいうべき真如海をもう一つ根柢において指摘なしたり。これ画期的なる業績なり。第一義の接触を「①自分自身の処にも、②そのままに現在する永遠の事実としても」認めつつ、第二義の接触はこの場合、「救済の行としてのイエス」あるいは機法一体[仏凡一体]を考える、と言ふ)
九 これを承け仏基の問題至誠心神学により我解明す
  (備考:我が至誠心の神学三原理あり:①神空に至誠なり;②空は空自らを空ずるなり;③宇宙に於いて神は我ら被造物に至誠心を喚起なす事の出来、また現に喚起なす唯一の御方なり。③が「根源的本質規定」なる「神表現」に該当する事、重要なり)
十 恩師はや御書簡にてや至誠学顧慮なさりてや前進す
十一 「原事実」その絶対性矯めてぞや「神表現」の「規定」出ずるや
十二 かくみれば御書簡予行演習ぞ「神表現」の本番『序説』
  (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』(福岡・創言社、1988年)272-275頁、参照)
十三 人々は一驚せむも滝沢や仏基論にや手抜かりやあり
十四 「第一義」星野説言ふ深み無し原事実のや底や見えざる
十五 今やこそ「原受肉」とや我の言ふ「神共」「太初」逆接点ぞ
  (備考:『ヨハネ』1・1・第二項と第一項切り結ぶ点「原受肉」、受肉の前にあるなれど、深くも深し、原事実のや底。『序説』では恩師「原事実」とや「神表現」いとも軽みや二者共語る風!
十六 西田言ふ絶対矛盾自己同一正に一なる「神共」「太初」 
十七 この「一」や原事実のぞ底なるや真如海とや言ふべくやそも

IXIA!
延原時行

Subject: 御礼

今日も有難うございます。名古屋は久しぶりの雨でしたので、昨日に続いてバスを乗り継いでの往復でした。病院ではクモ膜下出血の後遺症のひとつに高次脳機能障害が残る可能性もあることを教えていただいて、早速今日は、名古屋市総合リハビリテーション病院での検査予約の手続きをはじめたりいたしました。順番待ちがずいぶん長いようですが、いっぽいっぽ手順を踏みながら、正確な診断をうけながら、仕事復帰のみちを探ることになります。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽

 

延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版75

お早うございます。今朝の新しい歌を届けていただきました。いま注目を浴びる「延原哲学」は西田哲学と滝沢哲学、そしてホワイトヘッド・プロセス哲学と深く響きあう独創性が魅力ですが、こうして先生の日ごとの歌を通して学ぶことのできるのも、不思議なことです。

 

○(3月5日)

       哲悦の極みの歌十首

          (* 鳥飼先生3/4, 2018 21:55)

一 真砂さま自立の方向見へたるや父さん午睡安心のほど
二 我やしも深き安心恩師のや御書簡読みてそぞろ笑みつつ
三 何がどうなりたるや我知らざるも旧著陸続上昇中ぞ
四 『対話論神学地平』久しぶり『プロセス神学』好事家ありや
  (備考:拙著『対話論神学の地平―ー私の巡礼のなかから』(横浜・春風社、2006年)、カブ=グリフィン著、拙訳『プロセス神学の展望―ー概論的解説』(東京・新教出版社、1978年、1993年)なり)
五 ともかくも我がテーマのやこの時代生くる様あり有り難きかな
六 新著のや『哲学喜び』只今や巻末謝辞を書き進む我
七 恩師のや『神人学』に御書簡の発展知るや一驚喫す
八 しかもぞや我が至誠学承けて成る「神表現」やホ氏と軌一つ
九 誠にや学の道にや惚れ惚れと恩師感恩忘れじや我
十 唯一のや神表現の規定にぞ起ちて希望に満つる師や燦
  (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』(福岡・創言社、1988年)、273頁、参照。遂に「インマヌエルの原事実」超ゆる視点や「神表現」なるや! それ故にこそ、我、《原事実の「新しい現在」=「神表現」の産み出し》なり、これぞ哲悦の極みなり、と宣言す。それ正に、ホ氏の生涯最後の言葉に見合ふなり:”His true destiny as co-creator in the universe is his dignity and his grandeur.” [Dialogues of ANW, 366] )

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 3/4, 2018 5:48 PM:「今日も新しい歌を有難うございます。昨日からの娘の一泊帰宅も無事午後には病院へ戻り、早速今日のリハビリに打ち込んでおりました。今月はあと三回の週末がありますので、今回のような外泊を重ねて日常の生活を取り戻す目標を立てているようです。家では誰よりもよく眠り、知らなかった市場を案内して食材を買い求めたり、今日は市バスを二つ乗り継いで、元気に帰っていきました。私は安心したのか長い午睡をして、夕餉を迎えています。今晩は丹波の娘と鳥取の兄貴に電話で報告しておこうと思っています。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)

 

延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版74

お早うございます。嬉しい朝です。やはり「わが家が一番」のようです。

今朝も新しい歌―路邁進の歌―有難うございます。

 

○(3月4日)

     ともどもに一路邁進の歌八首

         (* 鳥飼先生 3/3, 2018 19:31)

一 おめでとうございますげに生還や真砂さまいざ二度生まれかな
二 我妻や三度生まれの本作り絶後笑み増し御友と飛翔
三 命とは「神表現」と恩師言ふ一度二度三度げに無窮なり
四 一度目や闇雲にぞや走れども倒れてまたも起つや嬉しも
五 二度目のぞ人生リハビリ再度見る我が家嬉しも餃子囲みて
六 妻は天我は地上にありとても「本作り」のや二人三脚
七 朝来る会心作の中からや本作りのや態勢も共
八 これにてや八十路の著者は妻と共「神表現」ぞ一路邁進

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 3/3, 2018 6:17 PM:「今日も有難うございます。朝からコートも忘れるほどの日和に恵まれ、娘は午前中たっぷりとリハビりに打ち込んだあと、11時にタクシーに乗り自宅に帰ってきました。少々重いバッグも下げながら自宅の階段も自信ありげに三階まで苦も無く上がり、感謝のうちに大好きな餃子を三人で頂いて、午後は娘の行きつけのスーパーまで歩き、夕食の買い物をしてきて、台所に立って食事の準備をして、ただいまから、感謝の夕餉がはじまります。スーパーでは娘の大好物のイカの刺身もゲットして・・・。ワンルームマンションで三人暮らしは窮屈ですが、むかし六畳一間に家族四人で過ごした「中根アパート」の経験もありますから、「中根荘ごっこ」といった感じもして、なにもかもがありがたくおぼえさせられております。ありがとうございます。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽」)