延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)名古屋版22

お早うございます。名古屋は雨の朝です。いつのように洗濯と窓を開けての掃除を済ませて・・・延原先生のメルマガ「風の便り:延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)の「今日の歌」をここに収めさせていただきます。「感恩の歌」いいですね!

 

鳥飼先生

  究極的な人姿(快癒に付け創作用に付け)の歌三首

一 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます感ずや生きん
  (備考:これ、快癒の歌なり。「感ず」とは「恩に感ず」とのことなり。御神汝を助けんとさる。その愛に感ずるなり)
二 人類やあらしめられて思ふ者感恩ありて共創りなす
  (備考:これ、全人類のデカルトホワイトヘッド統合論的把握の歌なり。「あらしめられて思ふ」は近代の初めデカルトが直覚したる「存在+思惟」の直接性のセンスなり。最初、これを彼「考えるあいだ我在り」と書けり。「考える故に」に非ずしてなり。これ、誠に重要なり。後に《ergo》の導入したる近代主義的災厄を思へば、この点は誠に重要なり。サルトルは右のセンスを「仲介なし」の「絶対の真理」と述べたり。「仲介なし」とは形相によって媒介されざるもの、との意味なり。ホワイトヘッドはそれを「(宇宙における)個的事実は被造者、創造作用は一切の形相の背後なる究極者にして、形相によっては説明不可能なり、而してその(創造作用の)被造者達によって条件付けらるるものなり。」と説明せり(PR, 20)。ホワイトヘッドは最晩年(November 11, 1947)「ひとがこの創造的プロセスに参与するかぎり彼は神的なもの、神に参与なせるものであり、その参与が彼の不死性なるなり、彼のからだの死を越えて彼の個体性が生き残るか否かの問題は見当違いの設定に帰するなり。彼の宇宙における共同―創造者としての真の定めはその尊厳、その壮麗なるなり。」と述懐せり(Dialogues of ANW, 366)。彼の重要語句「参与」(Partaking)と関連させて「感恩」の一語を我選べり。此処に、デカルトと統合成す場合の重要なる「端緒」在りと我感ず)
三 かくてこそ究極的な人姿快癒にもまた創作用にもあり

IXIA!
延原時行


Subject: 御礼

何時も有難うございます。<延原時行歌集「命輝く」(「番町出合いの家」鳥飼)>「名古屋版」も継続できてうれしく存じます。今日も病院で昼食を共にし食堂で全国大学ラグビー選手権決勝を満喫しました。来年はラグビーW杯日本大会もあり神戸でも会場になります。頭の働きも自然になりトイレにいくにも看護師さんに見守られながら(手を添えることなしに)行けるようになりました。今月10日の詳しい検査を経てその結果次第では案外早くリハビリの専門病院に転院することになるかもしれません。お陰様でわたしたちも元気で過ごしています。御礼かたがたご報告まで。
IXIA!!
鳥飼慶陽